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『Vフォー・ヴェンデッタ』見てきました、ヒューゴ氏素敵・・・!!!!!! [映画&音楽]

こんばんは。
昨日の記事にnaotoさん、ハヤトリさん、Robinさんからnice!とコメントを、
カルガモのケビオンさん、バルビレッジでお世話になっている鍵さんからは
コメントを頂きました、有難うございます^^返信は頂いたコメントの後ろです。


今日は天気も良くて外出日和だったので、念願だったヒューゴ・ウィービング氏主演の
「Vフォー・ヴェンデッタ」を見てきました。
今日は映画全体の感想を書こうと思います。
以下、ネタバレのため白で書きますので、まだ映画をご覧になっていない方などは
スルーを、「訳分からん感想でも見てやろう」と思ってくださる方は反転でどうぞ♪




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[この映画のキーワードは「仮面」「象徴」「破壊」「創造」あたりかなーと思いました。
映画を見る前に友人から「ヒューゴの顔は一切出ないよ;」と言われていたのですが、
映画を見て納得しました。
私はてっきりヒューゴ氏演じる「V」が単に素性を知られない様に顔を隠しているという
設定だと思っていたのですが、

実は「V」は政府のせいで収容所送りに

そこで薬物実験を受けている最中にその収容所が大火事になる

彼は辛うじて(薬物による驚異的肉体を持っていたため)命は助かったものの、
大やけどを負ったその顔を隠すため。

だったんですね。
・・・まぁ、正直これも表面的な理由にしか過ぎないと言いますか、火傷より何より
「V」はガイ・フォークスの仮面を身につけることで、「仮面」を劇で使われる「単なるツール」
(といっても「仮面」にはそれなりの理由があるので「単なるツール」と言うのも変ですが、
ここでは「V」が外面的要素のみで仮面を選んだわけではない、ということで・・)
という形としてでなく、フォークスの人格そのものを取り込むというか、自身の
ある一側面とシンクロさせて自分の望むべき人格(ペルソナ)を具現化したいがため
だったんだと思います。

また、映画の後半辺りで
「政府が国民を従属させるために使用した武器は『恐怖だ』」
とか
「『正義』は殺せない」
など言っていたのも、やはり「政府」が、そして「V」が『恐怖』や『正義』などの
観念というか形のないものを具現化したがっていたのだろうと強く感じました。
でもそれは「形あるもの」として見えてくることは無かったんですが、少なくとも
そういった強い願いは
国民の精神を「破壊」し彼らを従属させるような国を「創造」し、
一方で
そういった体制の国をどうにか「破壊」し変えていこうとする人々を「創造」するのに
必要不可欠なものだったんだろうな・・・と。

ヒンドゥー教で創造神はブラフマー、破壊神は「シヴァ」なんてよく言われます。
どうやら「シヴァ」は破壊と共に再生も司るらしく、その力は本当に両極端な
感じがしますが、それは「V」と悪の幹部(?)「サトラー議長」にぴったりだと思いました。

確かに権力を以って国を統べる方法は人により様々で、実際その方法も数あれど
だからといって力で従属させようというのは(映画内でも、最初はそのことに疑問を
持たなかった人々ではありますが)好まれることではありません。
逆に、そういった支配体制の国に対して疑問を抱き、「V」のように人々を目覚めさせていく
ことも必要かもしれませんが、力による復讐が受け入れられないことも十分に
あるわけでして・・・「V」にしても「サトラー」にしてもその辺りはあまりにも極端で
且つ、時によって「破壊」も「創造」もしうる存在になるのは「シヴァ」のような感じがしたのです。

でも、こういった両極性のようなものは何も彼ら2人だけが持っているものではなく
映画の最後で「Vは父、母、弟、友達、あなた、私・・・」というような事を言っていた事からも
分かるように、誰もが「V」になりうる存在なのだと示していたんじゃないでしょうか。
だからといって皆が「V」のような復讐者になるというわけではないと思います。
確かに映画内ではそういったイメージが強かったのですが、その側面だけを
見せていたわけではありません。

ヒロインのイヴィーを匿った次の日(?)の朝、彼女が目を覚ますと
台所で可愛らしい花柄エプロンをした「V」がエッグトースト(?)を作って
「マドモワゼル」なんて言ったときのお茶目さ、終盤でイヴィーをダンスに誘ったり
(私もダンスに誘われたい)彼女を想っていた自分に気づく時のもの悲しさ。
感情がコロコロとは変わりませんが、その時々に見せる違った姿は私たち同様かと。
なので「V」はやはり私たちであり、私たちは「V」でもあるんでしょうね。

最後に「V」はイヴィーへの愛に気づくことで「憎しみ」だけでない自分を
生み出すことが出来ましたが、それでもなおあの死を逃れられないというシーンは
「愛する」という感情だけでも乗り越えられない物事の厳しさを、改めて提示
してくれたように思いました。

それでも「象徴」は破壊され、イヴィーたち新世代の担う時代が来る。
映画の中だけではない、私たちの身の回りにも起こりうる「破壊」と「創造」の繰り返し、
自分がその真っ只中にいたら一体どんな風に振舞うことが出来るのだろうと
考えながらの鑑賞でした。
]

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映画全体に関する感想は以上です、というか書いていくうちに訳が分からなくなってくるのは
いつもの事なので、どうかその辺りは雰囲気を感じ取ってくださると幸いです。
明日はヒューゴ氏の美しさ素敵な辺りを語りたいと思います。
長々と、ここまで読んでくださって有難うございました(礼)


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コメント 4

kokkototitti

訪問していただいた、ここっこです。
クランさんが言うように、ダンスのシーンは私も大好きですッ♪
人を殺し、政府に復習する「V」も恋をするんだなぁと見入ってしまいました...笑
これをきっかけにヒューゴさんのファンになりそうですw
また映画を観るような機会があったら教えてください(★'v`人)
by kokkototitti (2006-05-05 11:23) 

kuran

ここっこさん、naotoさんこんばんは。
コメント、nice!有難うございました^^

>>ここっこさん
ブログ訪問有難うございます^-^)ノ
VとイヴィーのしっとりとしたBGMのダンスシーン、良いですよね♪
復讐者の姿をしつつも時に紳士的であり、次第に恋という感情も
芽生えさせてどんどん人らしくなっていくV・・・考えただけで
また見たい!そして即DVDが欲しくなります(気が早いです;)
本当に引き込まれる映画でしたよね^^

ヒューゴ氏関連でもしまだご覧になっていなかったら「プリシラ」と言う
映画も是非ご覧下さい♪
内容によっては好き嫌いがあると思いますが^^;
そして是非ヒューゴファンの同志様になってくださいね!(笑)

>>naotoさん
いつもnice!、コメント有難うございます^-^
by kuran (2006-05-05 23:07) 

robi_tama_33

書き込みが遅れて申し訳ありません。
実はまだこの映画を観ていないのですが…コメントを^^。
(内容を知っていても平気で観られますのでご安心を!)
世界の秩序や正義を勝ち取る映画を観る度に…どの映画でも思うことがあります。
破壊と創造…この言葉を聞いて現実に戦争の起こっている地域、
独裁者で牛耳られている国と結びつけるのはRobinだけかもしれません。
映画では常に平和が訪れますが…現実ではかなり難しい、
それでもいつかは平和になって欲しいと思ってしまいます。
by robi_tama_33 (2006-05-16 23:10) 

kuran

>>Robinさん
こんばんは、遅れただなんて・・・そんな事無いですよ^-^
過去記事へのコメントも、いつでも大歓迎です♪

破壊と創造、独裁、この映画はそういった色合いの強い映画で、
私も平和な状況下にいる自分と、いつ何時戦争に
巻き込まれるやもしれない状況の国があること、考えてしまいます。
確かに映画だと平和が訪れる結末も多いですが、それは
結果であって、やはりそれに行き着く過程には残酷さだとか、
争いだとかが(少なからず)描かれていますよね。
映画だから一種娯楽のような感じで見てしまいがちですが、
やはりRobinさんのように現実を振り返ってみるという事って、
大切ですよね^-^〃)
本当、平和になって欲しいものです^^
(書いているうちに訳が分からなくなり・・・すみません;;)
by kuran (2006-05-18 21:23) 

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